
リターンソロキャンプ夜明け前
行き詰まりの毎日で見つけた本当に欲しい時間

祖父の代から受け継いできた個人経営の薬局、2000年当初、バブル崩壊の影響はそれほど受けては無かった。
自分の代までは何とか食っていけるな、と、タカをくくって毎日を過ごしていたんですが、そんなに世の中は甘くはありません。
気楽に過ごしている間に、時代は確実に昭和が終わり、平成の世は進み、世の中の変化に気づいたころには、完全に取り残された業態になっていました。
来客は減り続け、親父から給料の50%の減額を言い渡されて、昼間の勤務の後、三十年ぶりにドラッグストアにアルバイトに行くことに。
業界中の浦島太郎状態。「昭和はとっくに終わっていた」

大手企業の業態に触れて、こらはもう、消費者の意識や行動は完全に変わってしまった現実を実感しました。
もう、個人商店の薬局経営はすでに死に体。消費者の行先は完全に変わってしまった。
昭和の経営スタイルから抜け出せない自分の店は終わりに向かっている。自分の代までは何とか続けれると思っていたが、そんな現実を突きつけられる毎日。
これからどうやって生きていこう。不安だけ募る、行き詰まりの毎日。
結局廃業、さあ何をやるか。

父親の急死、続いて母親のガン末期が見つかり、親子で営んできた薬局も閉店を余儀なくされることに。
唯一救いは、不動産物件があったこと。
築60年以上のおんぼろビルでも、駅近物件だったので、テナントはなんとか入っていて、自分ひとりがなんとかギリギリ食べていけるかな。でも何か稼ぎ口を考えないと。
辞めてみてわかったこと。職業への適正が無かった。
家業が薬局なので、当然薬剤師にならねばと、高校3年で思い定めて、一浪して薬学部へ進学。大阪から名古屋に下宿で移り住み、自分が過ごした小中高時代では考えられないぐらいの勉強量をなんとかこなして4年で卒業(成績はビリに近かった)
実家の薬局はお客さんからの病気と薬の相談を受けながら、販売する「相談薬局」の形態で、なんとかこなしていたと思うのですが、時代の変化に対応できず、閉店。
その後調剤薬局に勤務するも、自分の適性が無いことを痛感し退職。
方向も目的も見失い、やや自暴自棄になってました。
そんな折、懇意にしていた会社社長と雑談していた時に、

「人生一回きりなんだから、仕事も遊びも目いっぱい楽しまないと。」
と叱咤激励されました。
その社長が突然事故で死去。
さあ何をやろうか、自分は何がやりたいのか?
自分は何にをやったらいいのか、何がやりたいのか、問い続ける毎日で、ある時昔買った雑誌をふと見ると、「放浪」をテーマとするエッセイの中で、夜を迎える時「焚火」を見つめるくだりがありました。
その頃の自分は閉じこもってはいても人生を放浪しているようなもの。
「野営に必需なのは焚火、それは自分だけの時間の友」と言うフレーズがなにか心にしみました。
鋳物自分に必要なのは・・・
焚火がしたい!

そんな言葉が自分から湧き出ました。そうだ、出かけよう。キャンプに、野営に。
生きているんだからまず好きなことを、やりたいことをやろう!
考えるのはそれからでいいじゃないか。
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